DVD ジェネオン エンタテインメント 2005/08/05 ¥9,975

というわけでようやく原作のゲームをやり終えて、劇場版の「Air」を観ることに(5/17の日記参照)。結局、2回ほどレンタルを延長する羽目になった。やれやれ。

でまぁ、ネットでも賛否両論のこの作品なのだけど。
はっきり言おう。
駄作だ。細かい部分で評価できる点は幾つかあるが、総じてあまりに酷い出来。正直、これ程までに酷い映画化作品は珍しいと思う。
観ていて呆然、そして爆笑。
僕はそうでもないので大丈夫だけど、原作に思い入れのある人は激怒してもおかしくないわ。
ただまぁ、単に酷いというだけの作品でもなく。その辺りが賛否分かれる原因か。
以下、シナリオなどについて具体的な感想。劇場版・原作の両方のネタバレを含むので注意。

音楽。
うん、まぁ、悪くは無い。特に往人が神社で観鈴を探す時に流れる、「鳥の詩」のアレンジは非常に良かった。
ただ、冒頭のオリジナルver.「鳥の詩」のブチ切れ編集っぷりは泣けた。何だよあれ。TVアニメなら時間の問題もあるけど、劇場版であれは無い。名曲が台無しだっての。
他にもいくつか駄目なところはあったけれど、それは演出と一緒にまとめて書こうと思う。

アニメーションとしての出来。
うーん、正直劇場版ならもう少し頑張って欲しかった。通常の深夜アニメなどに比べ、予算、人員、時間とあらゆる面で恵まれているのだし。作画は割と良い出来だけど、そんなのは劇場版なら当たり前。もっと動きがあって欲しかったな。
え? 1枚絵? それも演出のところで。

さて、いよいよここからが本番。
キャラクター。
酷い。あまりに酷過ぎる。全体的に原作のゲームよりも現実味を増した性格付けがされているのだが、それがあまりに中途半端。原作のようにフィクションとして吹っ切れているわけでもなく、かといってリアルでもなく。はっきり言って最悪の結果。全員、原作とはほぼ完全に別人。
以下、個々のキャラクターについて。

・国崎往人
熱い。「家族なんて偽者の笑顔浮かべてるだけだ。そんな奴らに俺の人形劇見てもらいたくねぇ」とか。「本当の本気なんて、存在しないんだよ!」とか。しかも冒頭のその台詞が後々まったく生きてこないのが意味不明。なんだこいつ。
原作では「悪い」となっていた目つきまでもが熱い。観ている最中、「誰かに似てるよなぁ」とずっと思っていたのだが、スタッフロールを眺めていて気付いた。あいつだ。「フルメタルパニック!」の相良だ。
ちなみに原作と違い、人形劇で笑わせるのは普通に上手い。人気者。
つーか、ひょっとしてこいつの母親生きてるのか?

・神尾観鈴
原作よりも大人っぽくなり、幼さを感じさせる部分が無くなった。しかし、原作の「にはは」「がお……」などが変に残っているため、ただの電波少女になっている感が強い。あいたたた。原作であれが許せたのは、観鈴の幼さと開き直ったフィクション的キャラクター作りがあってこそだというのに。
ぶっちゃけ「ぱたぱたぱたー」のシーンでドン引きしたわ。
あと、ネットで他の方の感想を読むと、「もっと彼氏らしくしてもいいのだよー! もっと仲良くしてくれてもいいのだよー!」という台詞に対して否定的な意見も多いのだけど、ここでちょっと萌えた僕は駄目人間でしょうか(笑)。いや付き合ってもいないのに何言ってるんだこいつ、という感じは確かにするけど、これは劇場版の観鈴ならではの良さが出ていたと思う。
でもそれ以外の部分は正直きびしい。この作品の最も大きな弱点である「中途半端さ」をよく体現しているキャラと言える。
他の設定。病弱のためろくに学校に行けない。あともう1人の自分が空にいる夢とか見ない。翼人と関係がある、という描写が殆ど無く、最後の最後に羽が生えた姿が少し映っただけ。愛する人に思いを伝えたら死ぬという、原作には影も形も欠片すら無い設定。にも関わらず、誰かと仲良くすると体が弱っていく、という原作の設定が中途半端に生きていて、どっちつかずになっている。
ぶっちゃけ大失敗キャラ。

・神尾晴子
まず観鈴と普通に仲が良いというのがあまりに衝撃的。これで原作の要素のうちの50%は消え去っていきました(笑)。
まぁ、尺を縮めるため+恋愛に焦点を当てるためという理由があるので、うーんまぁ、納得できなくもない、かな(でもやっぱりちょっと辛いかも)。
ネグリジェで往人に絡むシーンは悪夢としか言いようが無い。あのシーンがどういう意図で入れられたのかさっぱりわからん。

・霧島聖
観鈴の主治医として脇役で出演。この映画の台詞があるキャラクターの中で、一番原作と変わっていないっぽい(笑)。

・ポテト
TVに出演。相変わらずぴこぴこ。

・霧島佳乃、遠野美凪、みちる
群集の中のちょい役。台詞無し。みちるだけ2回出番がある。
ヒロインなのに聖とポテトより扱いが悪いのには笑えたけど、まぁこれは仕方が無いかな。

・神奈
なんじゃこりゃ。お転婆でも何でもないただのお姫様。
単に許してもらえないだけで、最初から飛べる。
「愛する人にその思いを伝えると死んでしまう」という出所不明な呪いがある(僧の呪術でもなく、先祖から受け継いだ穢れでも無く。翼人固有の設定? でもだとしたら翼人は子孫残せないんじゃ?)が、最後は呪いとか関係無く矢に貫かれて死亡。僧達の呪術にかかっていないにも関わらず、空に留まる。でも今はどこで何してるのやら(笑)。だって「空にいる少女」って往人の母親がちょっと言ってただけで、ストーリーにまったく関わってこないんだもん(笑)。

・柳也
なんじゃこりゃ。お調子者でも変わり者でもなく、普通のイケメン貴族。なんか原作で出てた後ろ姿とはかけ離れた容姿をしてるんだけど(笑)。
この神奈と柳也のキャラクター改変は、多分Summer編の尺を短くするためのものだと思う。うん、確かに劇場版の短い時間の中じゃあ原作のように仲良くなっていく過程が描けないから、原作の性格がいまいち生きない、というのもわかる。わかるよ。
でもね。いくらなんでもこれはやりすぎ。短くするために原作のキャラクターを変えちゃったら、それ原作を映画化する意味が無いから。本末転倒ですから。
そして柳也、なんと法術が使える。まぁこれも尺を短縮するためにも仕方ないかな、とも思うけどね。
最後は余命僅かな神奈を海に連れていくべく奮闘(なんと戦闘に独楽を使う!)、普通に死亡。子孫を残さない!

・裏葉
聖並みのちょい役。多分法術は使えない(笑)。

・八百比丘尼
原作だと「呪いで無理矢理生かされているのが、人魚の肉を食って不老不死を手に入れたという伝説になった」という設定だったのが、呪いが無くなってしまったので人魚不老不死云々が浮きまくり。神奈が近づいてきたので必死に牢の外に出るが、そこを槍で突き殺される。

・そら
最初から飛べるただの鴉。
あ、あんまりだ……。

・敬介
原作だと「彼なりに観鈴のことをおもっているキャラ」だったのが、ただの自己中に。往人に殴られるだけに存在した人。めっちゃ不憫。

まぁ、ざっとこんな感じ。最早「Air」じゃない。

構成、ストーリー。
原作のテーマが完っ全に消滅。
僕が原作をプレイして感じたテーマは「家族」と「受け継がれていくもの」の2つなのだけど。
観鈴と往人の恋愛に焦点を当てたため、Air編は全カット。これにより、「家族」というテーマは申し分程度の薄っぺらいものになってしまっている。自動的に晴子、そらは原作とかけ離れたキャラへ変貌。
また、Summer編で柳也が死亡してしまい子孫を残していないため、「受け継がれる」という要素も消滅。つーか柳也と往人、神奈と観鈴にそれぞれどういう関係があるのかがさっぱりわからない。というか誤魔化されている。この点ははっきり言って最悪。
この時点でもう原作とは完膚なきまでに別物なので、比較のしようが無かったり。
多分、劇場版は「何もかもを犠牲にしても恋を貫く」という姿を描いた作品だったのだと思う。
で、じゃあ観鈴と往人の恋愛はどうなのよ、という感じだけど。
最後のゴールするシーンで、観鈴がはっきりと「お母さんが一番、往人さんは二番目」と言ってしまっている。あちゃー。
この他にも敬介が来るシーンなどでは中途半端に家族の絆が描写されていて、どうも恋愛を焦点にしているとは思えない。
これもキャラクターと同じように、変に原作を引きずってしまった悪影響と言える。

ただ、テーマを別にすれば、具体的なストーリー展開のやり方は悪くない。
Dream編(つーか現代)とSummer編を平行させ、その手段として「夏休み課題のフィールドワーク」を使ったのは実に上手いと思う。
ただ致命的だったのが、先ほども少し言及した「ゴール」のシーン。何の理由も必然性も伏線も無く、いきなり海へ行ってちょっと歩いてゴール。さようなら観鈴ちん。
……原作の一番の山場をこんな風に使われたら、そりゃ原作好きはマジギレするよ。しかも変に「青空」とか使っちゃってるしね。「『青空』が汚されたように感じた」と言ってるファンは実際、少なくないようだし。
「はいはいどうせこれさえ入れておきゃ原作好きは泣いて満足なんだろ」と製作者が考えているのではないかと、原作ファンが邪推できてしまうシーンになっているように感じた(無論、製作者にそういう意図は無い…………筈)。

後はまぁ、キャラクターの項で言ったような矛盾というか、設定の甘さが目に付いたかな。
全体の構成は悪くない。とにかく中途半端だ。

演出。
もはやギャグ。
劇画のような1枚絵の多用、画面のコマ割り、スローモーションにして何度か繰り返し、往人の母親が話に出てくるたびに何故かいきなり能の舞台が映る、鬼の面を被った男が太鼓を叩くというわけのわからん比喩的描写など。全体的に古臭く、演出過多。
調べてみると、監督は「あしたのジョー」などを製作した有名な人らしい。
おそらく、その人選の拙さが演出だけでなく、作品全てに悪影響を及ぼしてしまっているのだろう。これは後述。
とにかく、作風に演出がまったく合っていない。「古臭い」というのはそれ単体では決して悪いことではないが、少なくとも「Air」という作品にそれは合わない。
そして演出過多。いくら効果的な技法でも、多用してしまっては目についてうざったいだけだ。
何より、「能」と「鬼の面をした男達が叩く太鼓」という比喩が何を示そうとしているのか、皆目見当つかんのは僕だけなのだろうか。
恋愛を中心とした物語で、いきなり「いやぁー!」「でやぁー!」とか言いながら太鼓を叩きまくる集団に出てこられても困る。
てゆーかギャグになっちゃってますから。

この映画が「Air」として成立していないのはキャラクターの項からも明らかだが、「ちょっと設定に齟齬があるが、まぁ普通の青春恋愛映画」としても評価できないのは演出と作風のあまりにギャップにあると思う。

・総括
つまるところ、これは「Air」としてもただの青春映画としても糞だ。
が、監督の出崎氏があのような作風であり、また原作をあまり重視しないことは分かりきっていたわけで。
出崎監督という時点でこのような出来になることは簡単に推測できた筈であり、つまるところ原作の良さと監督の作風についてまったく考慮しせず、ただネームバリューのみで人選を行った東映が屑ということなのだと思う。
……でもさ、出崎監督も原作をプレイする位はやっても良かったんじゃない?

おしまい。疲れた。

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