アニメ:『ひぐらしのなく頃に 祟殺し編』総評
2006年6月29日 アニメ・マンガ
何だか最近アニメの感想ばかりだなぁ。
いやまぁ、本の批評を書くとどうしても時間がかかっちゃうから、その辺が今ちょっと厳しいんだよね。
ライトノベルの方もそこそこ読んではいるけど、レビューを書く意欲を湧かせるものが無くて。期待していた「銀盤カレイドスコープ」も前後編の前編だったし。
そんなわけで。
「ひぐらしのなく頃に」祟殺し編総評。
さて。
いつもの僕のやり方として結論から先に言うけど、最悪の出来だった。1話か2話くらい見逃してしまったのだけど、それを観たいという気も起こらない。
圭一の覚醒シーンは無く、雛見沢大災害をあのような形にカットしてしまう祟殺し編に何の価値があるのか。心の底から疑問。
綿流し編は割と良かったのに、何故いきなりここまで酷い出来に。
他の問題編と違って5話とったのだから、尺としても少しは余裕があった筈なのだけど……。
具体的に問題点を挙げると、一番致命的なのは大災害の描き方じゃないか、と思う。やっぱり。
原作でのあのシーンってのは、沙都子に殺されかかって里香ちゃんも死んで、もう滅茶苦茶になった状況を、全て一切合財完全に終わらせてしまう――ある意味、演劇で言う「機械仕掛けの神」的な役割を担っていると思う。
このあまりに唐突で不条理な『終焉』に対して読者は驚愕し、呆然とするわけだけど、うーん、これだとむしろ「物語の筋がよく分からない」という、原作者の意図とかけ離れた『驚愕』と『呆然』を味わってしまうのでは……。
あ、あと圭一がもう一度鉄平を殺そうと決意するシーンが有り得ない。あのシーンはあんな殺意に満ち溢れたものじゃない。もっとこう、追い詰められ切った圭一が「もう何もかもどうでもいい。せめて奴だけは殺す」という『諦観』に近いものを感じている、読者にある種の透明感を覚えさせる場面なのだ。
鈴木次郎の漫画版祟殺しはコミカライズとして素晴らしい出来だった(時間が取れたらこれについても書く予定)だけに、残念。
次週からは僕が原作で一番好きな(つーか泣いた)暇潰し編。問題編と解決編のインターバル的存在ではあるけれど、「ひぐらしのなく頃に」という物語においては非常に重要なエピソードでもある。
……頼むから何とか良いものを作ってくれ、スタジオディーン。
いやまぁ、本の批評を書くとどうしても時間がかかっちゃうから、その辺が今ちょっと厳しいんだよね。
ライトノベルの方もそこそこ読んではいるけど、レビューを書く意欲を湧かせるものが無くて。期待していた「銀盤カレイドスコープ」も前後編の前編だったし。
そんなわけで。
「ひぐらしのなく頃に」祟殺し編総評。
さて。
いつもの僕のやり方として結論から先に言うけど、最悪の出来だった。1話か2話くらい見逃してしまったのだけど、それを観たいという気も起こらない。
圭一の覚醒シーンは無く、雛見沢大災害をあのような形にカットしてしまう祟殺し編に何の価値があるのか。心の底から疑問。
綿流し編は割と良かったのに、何故いきなりここまで酷い出来に。
他の問題編と違って5話とったのだから、尺としても少しは余裕があった筈なのだけど……。
具体的に問題点を挙げると、一番致命的なのは大災害の描き方じゃないか、と思う。やっぱり。
原作でのあのシーンってのは、沙都子に殺されかかって里香ちゃんも死んで、もう滅茶苦茶になった状況を、全て一切合財完全に終わらせてしまう――ある意味、演劇で言う「機械仕掛けの神」的な役割を担っていると思う。
このあまりに唐突で不条理な『終焉』に対して読者は驚愕し、呆然とするわけだけど、うーん、これだとむしろ「物語の筋がよく分からない」という、原作者の意図とかけ離れた『驚愕』と『呆然』を味わってしまうのでは……。
あ、あと圭一がもう一度鉄平を殺そうと決意するシーンが有り得ない。あのシーンはあんな殺意に満ち溢れたものじゃない。もっとこう、追い詰められ切った圭一が「もう何もかもどうでもいい。せめて奴だけは殺す」という『諦観』に近いものを感じている、読者にある種の透明感を覚えさせる場面なのだ。
鈴木次郎の漫画版祟殺しはコミカライズとして素晴らしい出来だった(時間が取れたらこれについても書く予定)だけに、残念。
次週からは僕が原作で一番好きな(つーか泣いた)暇潰し編。問題編と解決編のインターバル的存在ではあるけれど、「ひぐらしのなく頃に」という物語においては非常に重要なエピソードでもある。
……頼むから何とか良いものを作ってくれ、スタジオディーン。
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