というわけで、BLOGというか日記というか、そんなようなものを始めてみた。
実を言うと、以前にもこのDiaryNoteで色々と書いていた時期があったのだけど、忙しくなって止めてしまった。
でもそうしていると僕の中に色々とこう、吐き出したいものが溜まってくるわけで。再開してみる事に。
基本的には、僕の読んだ本やらやったゲームやらについて、うだうだ書いていくことになると思う。あと思ったこととかね。
というわけで最初に、僕のスタンスというか何と言うか、まぁそんなようなものを。
・軽いオタク。ライトノベルと漫画中心、アニメ少し、ゲームほんの少し。
・読書好きで、本なら何でも読む。
・どうでもいいような下らないことをいつも考えている。
・思想は右というか保守寄りなのだけど、最近は興味が薄れてきてるから政治ネタはあまり書かないかなー、と思う。韓国より嫌韓厨の方が嫌い。
・尊敬する人は宮沢賢治と福沢諭吉。
こんなん。
まぁよろしく。おしまい。
実を言うと、以前にもこのDiaryNoteで色々と書いていた時期があったのだけど、忙しくなって止めてしまった。
でもそうしていると僕の中に色々とこう、吐き出したいものが溜まってくるわけで。再開してみる事に。
基本的には、僕の読んだ本やらやったゲームやらについて、うだうだ書いていくことになると思う。あと思ったこととかね。
というわけで最初に、僕のスタンスというか何と言うか、まぁそんなようなものを。
・軽いオタク。ライトノベルと漫画中心、アニメ少し、ゲームほんの少し。
・読書好きで、本なら何でも読む。
・どうでもいいような下らないことをいつも考えている。
・思想は右というか保守寄りなのだけど、最近は興味が薄れてきてるから政治ネタはあまり書かないかなー、と思う。韓国より嫌韓厨の方が嫌い。
・尊敬する人は宮沢賢治と福沢諭吉。
こんなん。
まぁよろしく。おしまい。
読書:ドストエフスキー『罪と罰』
2006年5月9日 読書
ISBN:4003261356 文庫 江川 卓 岩波書店 1999/11 ¥798
記念すべき(しねーけど)最初は、かの有名なドストエフスキーの「罪と罰」。
罪を犯してしまった青年の苦悩と、その周りの人間を描いた超長編だ。
僕はロシア文学を読むのはこれが初めてだったのだけど、正直参った。
何にって、登場人物の名前の長さにだ。
ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフとかあほかっつーの。覚えてらんねぇよそんなん。巻頭の登場人物紹介は見るだけで笑えるので、一見の価値あり。
そして本文も長い。約400ページ×3冊。しかも、登場人物がうだうだうだうだ考えてばかりなので余計に長く感じる。文章が読みやすいので僕にとっては苦痛ではなかったが、普段あまり本を読まない人には少々厳しいかもしれない。
でも。この作品には、それを乗り越えてでも読む価値がある。
ひたすら続く心理描写の中、時折もう本当に素晴らしい文が出てくるのことがあるのだ。冗談抜きで魂が震えた。これはやばい。名作と呼ばれるだけのことはある。
特に下巻は凄い。感動。ネタバレになるので後述にするが、エピローグでは闇の中に一条の光が差し込んでくるというイメージそのものが頭に浮かんだ。
物語全編を通して感じたのは、ドストエフスキーの「優しさ」だ。
飲んだくれのどうしようも無い糞野郎。自分でもう飲んでは駄目だと分かっていて、それでも飲んでしまう。家では妻子が食べるものも着るものも無く、娘が身を売って何とか暮らしている。それでも飲んでしまう。
つまるところ、そういう屑(敢えてこう言う)の気持ちというのは、分からない人には絶対に理解できないのだろうと僕は思う。どんな状況でも諦めず、明日のための努力をすることが出来る。自分のことが大好き。そういう「強い」「頑張れる」人には絶対に分からない。
そういう人は飲んだくれを罵って、もっと頑張れと言うのだろう。それは正しい。とても正しい。でも、弱い人間にはそれが出来ないのだ。もう自分でもどうしよーもないのだ。頑張れって言われても無理なんだ。
僕には、その気持ちがよく分かる。
そして、この作品はそんな屑への優しさに満ち溢れている。
それはキリスト教的な考えと少し似ていて、だからこの作品は「キリスト教色が強い」とか言われているのだと思う(ちなみに、キリスト教の教義をある程度理解している方が分かり易いのは確かだけれど、別に必須では無いと僕は思う。何とかなるんじゃない?)。
世界中の屑に幸あれ。
最後に、僕の一番心打たれた一節を抜き出して終わろうと思う。
以下ネタバレにつき注意。
ふたりは待ち、そして耐えようと決心した。まだ七年の歳月が残っていた。そのときまでは、どれほどの耐えがたい苦痛が、どれほどのこよない幸福があることか! だが、彼はよみがえった。彼はそのことを知っていた。新しいものとなった自分の全存在で、完全にそのことを感じていた。そして彼女は、いや、彼女は、ただ彼の生だけを生きていたのだ!
記念すべき(しねーけど)最初は、かの有名なドストエフスキーの「罪と罰」。
罪を犯してしまった青年の苦悩と、その周りの人間を描いた超長編だ。
僕はロシア文学を読むのはこれが初めてだったのだけど、正直参った。
何にって、登場人物の名前の長さにだ。
ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフとかあほかっつーの。覚えてらんねぇよそんなん。巻頭の登場人物紹介は見るだけで笑えるので、一見の価値あり。
そして本文も長い。約400ページ×3冊。しかも、登場人物がうだうだうだうだ考えてばかりなので余計に長く感じる。文章が読みやすいので僕にとっては苦痛ではなかったが、普段あまり本を読まない人には少々厳しいかもしれない。
でも。この作品には、それを乗り越えてでも読む価値がある。
ひたすら続く心理描写の中、時折もう本当に素晴らしい文が出てくるのことがあるのだ。冗談抜きで魂が震えた。これはやばい。名作と呼ばれるだけのことはある。
特に下巻は凄い。感動。ネタバレになるので後述にするが、エピローグでは闇の中に一条の光が差し込んでくるというイメージそのものが頭に浮かんだ。
物語全編を通して感じたのは、ドストエフスキーの「優しさ」だ。
飲んだくれのどうしようも無い糞野郎。自分でもう飲んでは駄目だと分かっていて、それでも飲んでしまう。家では妻子が食べるものも着るものも無く、娘が身を売って何とか暮らしている。それでも飲んでしまう。
つまるところ、そういう屑(敢えてこう言う)の気持ちというのは、分からない人には絶対に理解できないのだろうと僕は思う。どんな状況でも諦めず、明日のための努力をすることが出来る。自分のことが大好き。そういう「強い」「頑張れる」人には絶対に分からない。
そういう人は飲んだくれを罵って、もっと頑張れと言うのだろう。それは正しい。とても正しい。でも、弱い人間にはそれが出来ないのだ。もう自分でもどうしよーもないのだ。頑張れって言われても無理なんだ。
僕には、その気持ちがよく分かる。
そして、この作品はそんな屑への優しさに満ち溢れている。
それはキリスト教的な考えと少し似ていて、だからこの作品は「キリスト教色が強い」とか言われているのだと思う(ちなみに、キリスト教の教義をある程度理解している方が分かり易いのは確かだけれど、別に必須では無いと僕は思う。何とかなるんじゃない?)。
世界中の屑に幸あれ。
最後に、僕の一番心打たれた一節を抜き出して終わろうと思う。
以下ネタバレにつき注意。
ふたりは待ち、そして耐えようと決心した。まだ七年の歳月が残っていた。そのときまでは、どれほどの耐えがたい苦痛が、どれほどのこよない幸福があることか! だが、彼はよみがえった。彼はそのことを知っていた。新しいものとなった自分の全存在で、完全にそのことを感じていた。そして彼女は、いや、彼女は、ただ彼の生だけを生きていたのだ!
漫画:あずまきよひこ『よつばと!5』
2006年5月9日 アニメ・マンガ
ISBN:4840234418 コミック あずま きよひこ 角川(メディアワークス) 2006/04/27 ¥630
世間じゃ9連休の休みボケが云々言っているみたいだけど、GW中休みがたったの1日しか無かった僕には縁の無い話。むしろ疲れが溜まっていて、ここ1週間ほど風邪気味だったり。やってらんねー。
というわけで、2回目は軽くいってみることにした。つーか1回目が正直重すぎた。
あずまきよひこ「よつばと!」の第5巻だ。
「あずまんが大王」で4コマ漫画界に革命を起こしたあずまきよひこ。
似た作風の人は割と増えてきたけど、やはり「空気」の書き方がこんなに上手い漫画家はこの人だけだ。
普通に読んでも勿論面白いけど、細かく読めば読むほどに、構図や影の使い方などの上手さがよく分かる。そんな漫画。
実際の内容は、長く続いた「夏」の終わりを描いている。
父ちゃんの後輩であるヤンダの登場、ジャンボとの天体観測、そして夏休みの最後に行った海水浴。
今までの既刊と変わらず、安心して楽しめる脱力っぷりが素敵だ。
個人的には34話「うみ」の1ページ目がツボだった。
でもこの作品のキモって、そういうギャグ的な笑いじゃなくて、微笑ましさとかそういうことだよなぁと思う。
ちなみに、僕が一番好きなキャラはよつばの父ちゃんである。
4巻収録の27話「つくつくぼうし」のラストで、よつばに「つくつくぼうしは、セミでした」と報告された時の反応が格好良すぎる。あれには痺れた。つーか惚れた。
ああいう人が一番近くで見守っていてくれているからこそ、よつばはあんなにも純真なままでいられるんじゃないかと思う。作中にはまだ登場していないけど、仮に「悪意」をもってよつばに接する人間が出てきたとしても、父ちゃんはよつばをちゃんと守れる人間なのだろう。
あー、リアルでああいう人が居たら本気で尊敬するなぁ。
何にせよ、やはり良い作品だ。
余談だが、5巻のカバーを外すと、よつばが居ないモノクロの内表紙絵が現われる。
その絵を見た時に感じる僅かな寂しさが、いかにも「夏の終わり」という感じで何とも良い。
世間じゃ9連休の休みボケが云々言っているみたいだけど、GW中休みがたったの1日しか無かった僕には縁の無い話。むしろ疲れが溜まっていて、ここ1週間ほど風邪気味だったり。やってらんねー。
というわけで、2回目は軽くいってみることにした。つーか1回目が正直重すぎた。
あずまきよひこ「よつばと!」の第5巻だ。
「あずまんが大王」で4コマ漫画界に革命を起こしたあずまきよひこ。
似た作風の人は割と増えてきたけど、やはり「空気」の書き方がこんなに上手い漫画家はこの人だけだ。
普通に読んでも勿論面白いけど、細かく読めば読むほどに、構図や影の使い方などの上手さがよく分かる。そんな漫画。
実際の内容は、長く続いた「夏」の終わりを描いている。
父ちゃんの後輩であるヤンダの登場、ジャンボとの天体観測、そして夏休みの最後に行った海水浴。
今までの既刊と変わらず、安心して楽しめる脱力っぷりが素敵だ。
個人的には34話「うみ」の1ページ目がツボだった。
でもこの作品のキモって、そういうギャグ的な笑いじゃなくて、微笑ましさとかそういうことだよなぁと思う。
ちなみに、僕が一番好きなキャラはよつばの父ちゃんである。
4巻収録の27話「つくつくぼうし」のラストで、よつばに「つくつくぼうしは、セミでした」と報告された時の反応が格好良すぎる。あれには痺れた。つーか惚れた。
ああいう人が一番近くで見守っていてくれているからこそ、よつばはあんなにも純真なままでいられるんじゃないかと思う。作中にはまだ登場していないけど、仮に「悪意」をもってよつばに接する人間が出てきたとしても、父ちゃんはよつばをちゃんと守れる人間なのだろう。
あー、リアルでああいう人が居たら本気で尊敬するなぁ。
何にせよ、やはり良い作品だ。
余談だが、5巻のカバーを外すと、よつばが居ないモノクロの内表紙絵が現われる。
その絵を見た時に感じる僅かな寂しさが、いかにも「夏の終わり」という感じで何とも良い。
GWに休みが無かった疲れが今になって噴出したのか、昨日今日と風邪でダウンしてしまった。母の日にカーネーションでも送りつけてやろうかと計画していたが、ここ二日ひたすら眠っていたのであえなく頓挫。ごめん母。
さて。
体調も何とか回復してメールチェックやら何やらしていたら、こんなサイトを見つけたので紹介しようと思う。
「山の愛唱歌集」様。
http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mount_midi.htm
まぁ要は、色々な曲のMIDIを歌詞付き(一部例外有り)で紹介しているサイトなのだけど、これが凄い。
J-POP? そんなんに用はねぇよ。
かつて、中学や小学校で歌ったような合唱曲。その殆どが、このサイトには収録されているのだ。
もうね、あまりの懐かしさに震えましたよ。というか、本当に泣いてしまった。
僕の思い出深い曲は、大体こんなところだ。
「心の瞳」
http://momo-mid.com/mu_title/kokorono_hitomi.htm
「旅立ちの日に」
http://momo-mid.com/mu_title/tabidachino_hini.htm
「大地讃頌」
http://momo-mid.com/mu_title/daichi_sansyou.htm
「春に」
http://momo-mid.com/mu_title/haruni.htm
「ひろい世界へ」
http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/hiroi_sekaie.htm
「IN TERRA PAX 地に平和を」
http://momo-mid.com/mu_title/in_terra_pax_m.htm
「切手のないおくりもの」
http://momo-mid.com/mu_title/kitteno_nai_okurimono.htm
「勇気をください」
http://momo-mid.com/mu_title/yuukiwo_kudasai.htm
MIDIに合わせて歌っていると、当時のことが思い出される。
特に「ひろい世界へ」は小学校の卒業式で歌ったのだけど、声変わりしてしまったせいでもう高音が出なくて。ああ、もう僕は変わってしまったのだ、と思うと泣けてきた。心の琴線掻き鳴らしまくり。
滅多に聞くことが出来ない曲が聞ける、素晴らしいサイト。
自分の思い入れをある曲を聴いて感傷に浸るのも、たまには良いんじゃないかな、と思う。
是非どうぞ。
余談。
合唱曲ではない(というかバリバリのJ−POP)けれど、スピッツの「チェリー」が今聞いてみると滅茶苦茶良い曲で泣けた。
http://momo-mid.com/mu_title/cherry.htm
君を忘れない。
曲がりくねった道を行く。
さて。
体調も何とか回復してメールチェックやら何やらしていたら、こんなサイトを見つけたので紹介しようと思う。
「山の愛唱歌集」様。
http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mount_midi.htm
まぁ要は、色々な曲のMIDIを歌詞付き(一部例外有り)で紹介しているサイトなのだけど、これが凄い。
J-POP? そんなんに用はねぇよ。
かつて、中学や小学校で歌ったような合唱曲。その殆どが、このサイトには収録されているのだ。
もうね、あまりの懐かしさに震えましたよ。というか、本当に泣いてしまった。
僕の思い出深い曲は、大体こんなところだ。
「心の瞳」
http://momo-mid.com/mu_title/kokorono_hitomi.htm
「旅立ちの日に」
http://momo-mid.com/mu_title/tabidachino_hini.htm
「大地讃頌」
http://momo-mid.com/mu_title/daichi_sansyou.htm
「春に」
http://momo-mid.com/mu_title/haruni.htm
「ひろい世界へ」
http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/hiroi_sekaie.htm
「IN TERRA PAX 地に平和を」
http://momo-mid.com/mu_title/in_terra_pax_m.htm
「切手のないおくりもの」
http://momo-mid.com/mu_title/kitteno_nai_okurimono.htm
「勇気をください」
http://momo-mid.com/mu_title/yuukiwo_kudasai.htm
MIDIに合わせて歌っていると、当時のことが思い出される。
特に「ひろい世界へ」は小学校の卒業式で歌ったのだけど、声変わりしてしまったせいでもう高音が出なくて。ああ、もう僕は変わってしまったのだ、と思うと泣けてきた。心の琴線掻き鳴らしまくり。
滅多に聞くことが出来ない曲が聞ける、素晴らしいサイト。
自分の思い入れをある曲を聴いて感傷に浸るのも、たまには良いんじゃないかな、と思う。
是非どうぞ。
余談。
合唱曲ではない(というかバリバリのJ−POP)けれど、スピッツの「チェリー」が今聞いてみると滅茶苦茶良い曲で泣けた。
http://momo-mid.com/mu_title/cherry.htm
君を忘れない。
曲がりくねった道を行く。
アニメ:『吉永さん家のガーゴイル』感想
2006年5月16日 アニメ・マンガ
今日はオタクな話題。
今期のライトノベル原作アニメと言えば、EDのダンスやら凄まじいクオリティーを誇る京都アニメーション製作やらで話題になっている「涼宮ハルヒの憂鬱」だろう。多分アニメ史に残る作品になるだろうと思う。
だけど、僕が今一番楽しみにしているのはそちらではなく、「吉永さん家のガーゴイル」だったりする。
まず、オープニングの曲がさりげなく良い。
明るくて雰囲気にも合っているし、出だしの
世界中でおはよう言えば きっと繋がっていくから
にはちょっと感動してしまった。
作画も安定していて○。安心して観ていられる出来。
また、主役の声優が若本さん(サザエさんでアナゴさん役をやっている方。僕が唯一知っている声優さんでもある)というのは初じゃないだろうか。
「ご町内ハートフルコメディ」と銘打っておきながら何気に重いテーマを扱っていて(盲導犬、ありがちと言えばありがちな美少女実験体ネタ、「人間は植物と話すべきではない」など)、しかしそれでいて明るいコメディとして成り立っているし。
あまり目立っていないけど、僕としては今期最大の当たりアニメだ。
梨々可愛いよ梨々。百式格好いいよ百式。
さて。
今回の放送は原作には無いアニメオリジナルストーリー(多分。原作は途中までしか読んでいないので)で、デュラハンと梨々の関係を掘り下げたものだったのだけど。
もうね、デュラハン健気過ぎ。
吉永家の門でガシャガシャやるシーンは涙無しには見られない程だ。
相変わらず良いところを持っていく百式も、便利屋扱いされつつあるケルプも良い味出している。
意地を張って吉永家に来ようとしない梨々も可愛いし、今回も楽しませて頂きました。はい。
是非ともこの調子を維持していって貰いたいところ。
「吉永さん家のガーゴイル」。お勧め。
今期のライトノベル原作アニメと言えば、EDのダンスやら凄まじいクオリティーを誇る京都アニメーション製作やらで話題になっている「涼宮ハルヒの憂鬱」だろう。多分アニメ史に残る作品になるだろうと思う。
だけど、僕が今一番楽しみにしているのはそちらではなく、「吉永さん家のガーゴイル」だったりする。
まず、オープニングの曲がさりげなく良い。
明るくて雰囲気にも合っているし、出だしの
世界中でおはよう言えば きっと繋がっていくから
にはちょっと感動してしまった。
作画も安定していて○。安心して観ていられる出来。
また、主役の声優が若本さん(サザエさんでアナゴさん役をやっている方。僕が唯一知っている声優さんでもある)というのは初じゃないだろうか。
「ご町内ハートフルコメディ」と銘打っておきながら何気に重いテーマを扱っていて(盲導犬、ありがちと言えばありがちな美少女実験体ネタ、「人間は植物と話すべきではない」など)、しかしそれでいて明るいコメディとして成り立っているし。
あまり目立っていないけど、僕としては今期最大の当たりアニメだ。
梨々可愛いよ梨々。百式格好いいよ百式。
さて。
今回の放送は原作には無いアニメオリジナルストーリー(多分。原作は途中までしか読んでいないので)で、デュラハンと梨々の関係を掘り下げたものだったのだけど。
もうね、デュラハン健気過ぎ。
吉永家の門でガシャガシャやるシーンは涙無しには見られない程だ。
相変わらず良いところを持っていく百式も、便利屋扱いされつつあるケルプも良い味出している。
意地を張って吉永家に来ようとしない梨々も可愛いし、今回も楽しませて頂きました。はい。
是非ともこの調子を維持していって貰いたいところ。
「吉永さん家のガーゴイル」。お勧め。
ゲーム:『Air』感想
2006年5月17日 ゲーム
CD-ROM KEY 2001/07/19 ¥9,240
Air。
いわゆる「泣きゲー」としてオタク業界(ぶっちゃけるとエロゲー業界)に嵐を巻き起こした作品。
「泣ける」「超泣ける」「プレイ後1週間くらい廃人化した」「これで泣けない奴は人じゃない」など絶賛に次ぐ絶賛を浴び、エロゲー界の伝説となった。
男性向けに作製された物ではあるが、女性ファンも多い(他と比較して、の話だけど)。
……というわけで今回は(というかこれから何回かは)「Air」のレビューをしていくことになる。
いやまぁ、近所のビデオ屋で「Air」のアニメ劇場版を借りてきたんだけど。原作をプレイしたことが無かった(というか積んでた)から、一応観てみるのも良いかな、と思って。
で、そうしたら周囲から物凄い剣幕で止められたわけだ。
「せめて原作をやってから観れ」って。
せめてって何だよという感じなのだけど、まぁ、作品をより楽しめるのに越したことは無い。
二年以上もの間積みっぱなしだった箱を引っ張り出して、プレイしてみることにした。
目標は劇場版を返すまでの1週間以内に終わらせること。……きっついなぁ。
というのも、明日、5/18は僕が数年もの間待ち続けていたゲーム「.hack//G.U.」の発売日なわけで。明日は久々にゲームショップに行く予定。
その誘惑に負けず、「Air」をプレイし続けることが出来るのか、
そもそも、プレイする時間を作ることが出来るのか。
正直自信は無い。
さて。ともかく。
ヒロインは「霧島佳乃」「遠野美凪」「神尾観鈴」の3人。この手のゲームにしては、結構少ない方らしい(今までやったことのあるエロゲーが少なくしかも異色作ばかりなので、こういう恋愛メインのものをやったことが無くて分からない)。
オープニングムービーを見る限り、「神尾観鈴」がメインっぽいのでそれは後回し。まず、「霧島佳乃」から攻略してみることにした。
以下、大まかな印象。
グラフィック。
……正直、かなり癖がある。目が大きく、ちょっと古めの作風という印象を受けた。2000年製作だし、仕方無いのだけど、うーん、僕の趣味に合っているとは正直言いがたい。
まぁ、「ひぐらしのなく頃に」という洗礼を受けた後なので、慣れればあまり気にならないかな。
背景は凄く綺麗です。
音楽。
素晴らしいの一言。
まず、かの有名な「鳥の詩」。オープニングムービーと一緒に流れるのだけど、もうこれが凄く良い。作品の大きな特徴である「夏」を実に上手く表現している。
特に気に入っているのが、
子供たちは 夏の線路歩く 吹く風に 素足を晒して
この部分を聴いていると、情景が頭の中で鮮烈に展開される。
――所々に草の生えた線路を、数人の少年少女が談笑しながら歩いていく。
空には輝く太陽と、立ち上る入道雲。
生ぬるい風が穏やかに吹き寄せ、子どもたちの素足をすぅ、と撫ぜる。
……たまらんね。
他の曲も総じて非常に高レベルで、手放しで絶賛する以外に無い。
シナリオ。
ギャグというか、明るい部分の掛け合いは軽快。読んでいて飽きない。特に突っ込みの時の言葉選びにセンスを感じる。上手いね。
ただ、全体的に冗長かなぁ。ギャグパートはキャラクター同士の掛け合いが面白いのであまり気にならないけど、シリアスなパートになると話が中々進まず、くどさを感じる。かなりダルイ。
まだシナリオの途中なのだけど、このやり方で感動するか、と聞かれたらちょっと疑問かもしれない。
あとは、些細な事なのだけど、三点リーダ(「…」)を2つまとめて使っていないのが凄く気になる。まぁゲームでそういう文章のルールを守るべきか、というのは微妙ではあるけれど、出来ればきちんとして欲しかったなぁ。
概ね良い出来、と言っていい作品だと思う。とにかく音楽面が素晴らしいので、多少問題があってもそっちで強引にフォロー出来そうだし。
まだ佳乃シナリオすら終わっていないから、まだまだこれからだけどね。
佳乃シナリオと美凪シナリオが終わったら、その2つをまとめてまた書く予定。
3人のシナリオ以外にも何かあるらしいので、全何回になるかは分からないけれど、取り敢えず最後までは終わらせるつもり。
エロゲー史上に残る伝説の作品が、これから僕をどう楽しませてくれるのか。期待して、続きをプレイしたいと思う。
Air。
いわゆる「泣きゲー」としてオタク業界(ぶっちゃけるとエロゲー業界)に嵐を巻き起こした作品。
「泣ける」「超泣ける」「プレイ後1週間くらい廃人化した」「これで泣けない奴は人じゃない」など絶賛に次ぐ絶賛を浴び、エロゲー界の伝説となった。
男性向けに作製された物ではあるが、女性ファンも多い(他と比較して、の話だけど)。
……というわけで今回は(というかこれから何回かは)「Air」のレビューをしていくことになる。
いやまぁ、近所のビデオ屋で「Air」のアニメ劇場版を借りてきたんだけど。原作をプレイしたことが無かった(というか積んでた)から、一応観てみるのも良いかな、と思って。
で、そうしたら周囲から物凄い剣幕で止められたわけだ。
「せめて原作をやってから観れ」って。
せめてって何だよという感じなのだけど、まぁ、作品をより楽しめるのに越したことは無い。
二年以上もの間積みっぱなしだった箱を引っ張り出して、プレイしてみることにした。
目標は劇場版を返すまでの1週間以内に終わらせること。……きっついなぁ。
というのも、明日、5/18は僕が数年もの間待ち続けていたゲーム「.hack//G.U.」の発売日なわけで。明日は久々にゲームショップに行く予定。
その誘惑に負けず、「Air」をプレイし続けることが出来るのか、
そもそも、プレイする時間を作ることが出来るのか。
正直自信は無い。
さて。ともかく。
ヒロインは「霧島佳乃」「遠野美凪」「神尾観鈴」の3人。この手のゲームにしては、結構少ない方らしい(今までやったことのあるエロゲーが少なくしかも異色作ばかりなので、こういう恋愛メインのものをやったことが無くて分からない)。
オープニングムービーを見る限り、「神尾観鈴」がメインっぽいのでそれは後回し。まず、「霧島佳乃」から攻略してみることにした。
以下、大まかな印象。
グラフィック。
……正直、かなり癖がある。目が大きく、ちょっと古めの作風という印象を受けた。2000年製作だし、仕方無いのだけど、うーん、僕の趣味に合っているとは正直言いがたい。
まぁ、「ひぐらしのなく頃に」という洗礼を受けた後なので、慣れればあまり気にならないかな。
背景は凄く綺麗です。
音楽。
素晴らしいの一言。
まず、かの有名な「鳥の詩」。オープニングムービーと一緒に流れるのだけど、もうこれが凄く良い。作品の大きな特徴である「夏」を実に上手く表現している。
特に気に入っているのが、
子供たちは 夏の線路歩く 吹く風に 素足を晒して
この部分を聴いていると、情景が頭の中で鮮烈に展開される。
――所々に草の生えた線路を、数人の少年少女が談笑しながら歩いていく。
空には輝く太陽と、立ち上る入道雲。
生ぬるい風が穏やかに吹き寄せ、子どもたちの素足をすぅ、と撫ぜる。
……たまらんね。
他の曲も総じて非常に高レベルで、手放しで絶賛する以外に無い。
シナリオ。
ギャグというか、明るい部分の掛け合いは軽快。読んでいて飽きない。特に突っ込みの時の言葉選びにセンスを感じる。上手いね。
ただ、全体的に冗長かなぁ。ギャグパートはキャラクター同士の掛け合いが面白いのであまり気にならないけど、シリアスなパートになると話が中々進まず、くどさを感じる。かなりダルイ。
まだシナリオの途中なのだけど、このやり方で感動するか、と聞かれたらちょっと疑問かもしれない。
あとは、些細な事なのだけど、三点リーダ(「…」)を2つまとめて使っていないのが凄く気になる。まぁゲームでそういう文章のルールを守るべきか、というのは微妙ではあるけれど、出来ればきちんとして欲しかったなぁ。
概ね良い出来、と言っていい作品だと思う。とにかく音楽面が素晴らしいので、多少問題があってもそっちで強引にフォロー出来そうだし。
まだ佳乃シナリオすら終わっていないから、まだまだこれからだけどね。
佳乃シナリオと美凪シナリオが終わったら、その2つをまとめてまた書く予定。
3人のシナリオ以外にも何かあるらしいので、全何回になるかは分からないけれど、取り敢えず最後までは終わらせるつもり。
エロゲー史上に残る伝説の作品が、これから僕をどう楽しませてくれるのか。期待して、続きをプレイしたいと思う。
ゲーム:『Air』感想その2
2006年5月21日 ゲーム
CD-ROM KEY 2001/07/19 ¥9,240
AIRレビュー2回目。
取り敢えず睡眠時間を削って鬼プレイを敢行、佳乃と美凪のルートを終わらせた。疲。
全体的な印象は、前回のレビューと殆ど変わっていない。相変わらず掛け合いは軽快で、シリアスは冗長で、音楽は素晴らしい。
さて。
このゲーム、カテゴライズするならば「恋愛アドベンチャー」というジャンルになるのだろう。
でも、このゲームのシナリオ(少なくとも僕が終わらせた二人)においては、「恋愛」というのは一つの「きっかけ」でしか無い。
恋愛という主人公との交流を通し、それぞれのヒロインの歪んだ「家族」が浮かび上がって、そしてその解決を描く、というものになっている。
これが多分、この作品に(比較的)女性ファンが多いという理由だと思う。男性から見た恋愛観があるとは言え、それがメインではないというのは大きいんじゃないだろうか。
というわけで、以下は個々のシナリオについて思ったことを述べていく。
ネタバレしているので注意。
・佳乃シナリオ
はっきり言って薄味。
最初から最後まで感情移入出来ず、結局「ふーん」で終わってしまった。
これは多分、ヒロインの心理描写不足なのでは無いかと思う。
このシナリオにおいて、自分に何が起きているのかを佳乃は知ることが出来ない。正確に言うと、主人公や聖の態度から「何かある」ということを察してはいたが、その詳細を知ることは出来ないのだ。
更に、プレイヤーは「佳乃が『何かある』と察していた」ことを知ることが(シナリオのラスト直前まで)出来ない。何故ならこのゲームは主人公の一人称であるため、基本的に「主人公の持つ情報=プレイヤーの持つ情報」であるからだ。起きてから佳乃が居ないことに気付き、慌てる主人公を描くためには、そうでなければならなかった。
つまり、このゲームの構成だと、「佳乃が自分に起きていることについてどう感じているのか」ということがまったく描写できない、ということになる。主人公や聖が苦悩してはいるが、肝心の本人が置いてけぼりになってしまう。
だから「空に行くことにした」という佳乃の行動はプレイヤーにとって唐突に思えてしまうし、感情移入することも難しい。
解決方法も、主人公の持つ「法術」によるものであって、佳乃がどうこうできるような物でもなかった。
これらの理由が、このシナリオを薄味にしてしまっているんじゃないだろーか。
上記の問題を補うためなのか、佳乃自身が解決しなくてはならない問題というのも存在した。
腕のバンダナがそれだ。
リストカットを防ぐため、「大人になるまで外さなければ魔法が使えるようになる」と聖が付けさせたバンダナ。
佳乃は律儀にもそれを守ってきた(本人申告だから、実は外したことがあるという可能性も無いことは無いけどな)けど、「魔法」なんて嘘だってことは本人にもわかっているのだろう(だからこそ、魔法のような「法術」が使える主人公に惹かれたわけで)。
でも、外せない。主人公が無理に外そうとすると、バッドエンドで町を出ることになってしまうしね(笑)。
それを初めて外すのは主人公とのセックスの時なわけで、つまりこれは大人になる象徴として扱われているのだろうけど、うん、ぶっちゃけ印象薄い。シナリオの中核として扱うには余りに描写不足。しかもセックスの後また会う時には、結局また付けてるっていう。
おまけにセックスの時外すのは主人公で、佳乃本人じゃないしね。
つまり、佳乃はアクティブな少女として描かれているけど、自ら問題を解決したことは無いのだ。出来ない問題ばかりだった、という方が正しいかもしれない。
そゆーことを考えると、やっぱりヒロインが薄っぺらくなってしまうのも仕方無いなぁ、と思う。
正直、どう考えても聖&ポテトルートです。本当にありがとうございました。
・美凪シナリオ
良かった。
みちるがお気に入り(って書くとなんかロリっぽいけど)。主人公を何故かフルネームで呼ぶのがいいねー。
美凪のキャラクターもいい味を出していて、うん、感動したとまではいかないけど、やっていて面白いシナリオだったと思う。
ちなみにエロシーンは普通にエロくて驚いた(例によっておまけ以下の扱いだったけど)。
さて。
これはつまり、「夢」(思い出、とも言いかえられる)から脱却しようとする物語だ。
二番目の子供を流産してしまった美凪の母親(以下母)。一番目の娘が父親好きだったのを寂しく思っていた母は、いつしか精神を病んでしまう。
一番目の子供――美凪を、生まれてこなかった子供の名前「みちる」と呼び始めてしまうのだ。
名前というのは認識そのもので、名づけるとは「在ることを認め識る」ということ。
更に、子供への命名というのは「こうあって欲しい」という祝福でもある(「命名」ということについてはいずれちゃんと書くつもり)。
「あなた達の未来が、いつも美しい凪でみちていますように」
そう願ってつけられた名前がこうなるのは、何とも皮肉的であり、そして哀しいことだ。
一方。自分が「みちる」として母に認識されることを「自分への罰」(この辺どーにも嘘くさくて、僕としては好きじゃないのだけど)として受け入れていた美凪は、ある日幼い少女に出会う。
その少女は「みちる」という名前で、その少女の前ならば、彼女は「美凪」であることが出来た。二人は親しくなり、実の兄弟のようになる。
しかしその「みちる」は、結局「夢」でしかなかった。
結果的には、ある意味これで上手くいっていた、とも言える。美凪自身が「みちる」と呼ばれることを受け入れていたのだから。
「夢」ではあったけど、全員がそれなりに幸せでもあった。
しかし、母が正常に戻ってしまうことからそれは崩壊する。
かつて「美凪」を失い、更に「みちる」をも喪失してしまった母は、「娘なんて一人も居なかった」と思い込んでしまう。何かを失ってしまった、という喪失感のみを持って、どうしようもなくなってしまうのだ。
ここで、物語の重要な転機が訪れる。美凪は、自分が「みちる」ではなく「美凪」であると母に訴えることが出来るのか。自分を再び「在ることを認め識ってもらう」ことができるのか。
それは、主人公が今までにどんな行動をしてきたか(ぶっちゃけプレイヤーがどんな選択肢を選んだか)次第だ。
さて。
僕がこのシナリオで良いと感じたのは、美凪自身の行動によって問題が解決することだ。
前述した佳乃シナリオとは対照的になっている。
夢を見ることを止め、思い出に浸るのも終わりにして、現実に向き合うことを選択する。
ありがちだけど、やっぱりいいよなぁ。
前に進もうとする人の意志は尊い。
前に進もうとする美凪に対し、みちるは「思い出が欲しい」と言う。
消えてしまう前に、みちるだけの思い出が欲しい、と。
一見先ほどのものと矛盾するようだけど、そうじゃない。
「人は思い出無しでは生きていけないが、そればかりでもいけない」。
このシナリオで言われているのは、そういうことだ。
主人公が眠ってしまったみちるを背負い、月光を浴びながら美凪と並んで歩くCGがとても良い。
駅舎での三人の生活。
あれはとてもぎこちなくて、短くて、ままごとのような不完全なものだったけれど。
あの時、三人は間違い無く家族だったのだ。
とまぁ、どちらのシナリオが気に入ったのか丸分かりなレビューになってしまった。いや、書くのに2時間もかかってさ、そうするとやっぱ最初と最後でテンションが違ってきちゃうんだよね。うん。
残るは観鈴+何かあるらしいシナリオ。
いよいよメインヒロイン、気合入れていきます。
……とっとと.hack//G.U.もやりたいし、ね(笑)。
AIRレビュー2回目。
取り敢えず睡眠時間を削って鬼プレイを敢行、佳乃と美凪のルートを終わらせた。疲。
全体的な印象は、前回のレビューと殆ど変わっていない。相変わらず掛け合いは軽快で、シリアスは冗長で、音楽は素晴らしい。
さて。
このゲーム、カテゴライズするならば「恋愛アドベンチャー」というジャンルになるのだろう。
でも、このゲームのシナリオ(少なくとも僕が終わらせた二人)においては、「恋愛」というのは一つの「きっかけ」でしか無い。
恋愛という主人公との交流を通し、それぞれのヒロインの歪んだ「家族」が浮かび上がって、そしてその解決を描く、というものになっている。
これが多分、この作品に(比較的)女性ファンが多いという理由だと思う。男性から見た恋愛観があるとは言え、それがメインではないというのは大きいんじゃないだろうか。
というわけで、以下は個々のシナリオについて思ったことを述べていく。
ネタバレしているので注意。
・佳乃シナリオ
はっきり言って薄味。
最初から最後まで感情移入出来ず、結局「ふーん」で終わってしまった。
これは多分、ヒロインの心理描写不足なのでは無いかと思う。
このシナリオにおいて、自分に何が起きているのかを佳乃は知ることが出来ない。正確に言うと、主人公や聖の態度から「何かある」ということを察してはいたが、その詳細を知ることは出来ないのだ。
更に、プレイヤーは「佳乃が『何かある』と察していた」ことを知ることが(シナリオのラスト直前まで)出来ない。何故ならこのゲームは主人公の一人称であるため、基本的に「主人公の持つ情報=プレイヤーの持つ情報」であるからだ。起きてから佳乃が居ないことに気付き、慌てる主人公を描くためには、そうでなければならなかった。
つまり、このゲームの構成だと、「佳乃が自分に起きていることについてどう感じているのか」ということがまったく描写できない、ということになる。主人公や聖が苦悩してはいるが、肝心の本人が置いてけぼりになってしまう。
だから「空に行くことにした」という佳乃の行動はプレイヤーにとって唐突に思えてしまうし、感情移入することも難しい。
解決方法も、主人公の持つ「法術」によるものであって、佳乃がどうこうできるような物でもなかった。
これらの理由が、このシナリオを薄味にしてしまっているんじゃないだろーか。
上記の問題を補うためなのか、佳乃自身が解決しなくてはならない問題というのも存在した。
腕のバンダナがそれだ。
リストカットを防ぐため、「大人になるまで外さなければ魔法が使えるようになる」と聖が付けさせたバンダナ。
佳乃は律儀にもそれを守ってきた(本人申告だから、実は外したことがあるという可能性も無いことは無いけどな)けど、「魔法」なんて嘘だってことは本人にもわかっているのだろう(だからこそ、魔法のような「法術」が使える主人公に惹かれたわけで)。
でも、外せない。主人公が無理に外そうとすると、バッドエンドで町を出ることになってしまうしね(笑)。
それを初めて外すのは主人公とのセックスの時なわけで、つまりこれは大人になる象徴として扱われているのだろうけど、うん、ぶっちゃけ印象薄い。シナリオの中核として扱うには余りに描写不足。しかもセックスの後また会う時には、結局また付けてるっていう。
おまけにセックスの時外すのは主人公で、佳乃本人じゃないしね。
つまり、佳乃はアクティブな少女として描かれているけど、自ら問題を解決したことは無いのだ。出来ない問題ばかりだった、という方が正しいかもしれない。
そゆーことを考えると、やっぱりヒロインが薄っぺらくなってしまうのも仕方無いなぁ、と思う。
正直、どう考えても聖&ポテトルートです。本当にありがとうございました。
・美凪シナリオ
良かった。
みちるがお気に入り(って書くとなんかロリっぽいけど)。主人公を何故かフルネームで呼ぶのがいいねー。
美凪のキャラクターもいい味を出していて、うん、感動したとまではいかないけど、やっていて面白いシナリオだったと思う。
ちなみにエロシーンは普通にエロくて驚いた(例によっておまけ以下の扱いだったけど)。
さて。
これはつまり、「夢」(思い出、とも言いかえられる)から脱却しようとする物語だ。
二番目の子供を流産してしまった美凪の母親(以下母)。一番目の娘が父親好きだったのを寂しく思っていた母は、いつしか精神を病んでしまう。
一番目の子供――美凪を、生まれてこなかった子供の名前「みちる」と呼び始めてしまうのだ。
名前というのは認識そのもので、名づけるとは「在ることを認め識る」ということ。
更に、子供への命名というのは「こうあって欲しい」という祝福でもある(「命名」ということについてはいずれちゃんと書くつもり)。
「あなた達の未来が、いつも美しい凪でみちていますように」
そう願ってつけられた名前がこうなるのは、何とも皮肉的であり、そして哀しいことだ。
一方。自分が「みちる」として母に認識されることを「自分への罰」(この辺どーにも嘘くさくて、僕としては好きじゃないのだけど)として受け入れていた美凪は、ある日幼い少女に出会う。
その少女は「みちる」という名前で、その少女の前ならば、彼女は「美凪」であることが出来た。二人は親しくなり、実の兄弟のようになる。
しかしその「みちる」は、結局「夢」でしかなかった。
結果的には、ある意味これで上手くいっていた、とも言える。美凪自身が「みちる」と呼ばれることを受け入れていたのだから。
「夢」ではあったけど、全員がそれなりに幸せでもあった。
しかし、母が正常に戻ってしまうことからそれは崩壊する。
かつて「美凪」を失い、更に「みちる」をも喪失してしまった母は、「娘なんて一人も居なかった」と思い込んでしまう。何かを失ってしまった、という喪失感のみを持って、どうしようもなくなってしまうのだ。
ここで、物語の重要な転機が訪れる。美凪は、自分が「みちる」ではなく「美凪」であると母に訴えることが出来るのか。自分を再び「在ることを認め識ってもらう」ことができるのか。
それは、主人公が今までにどんな行動をしてきたか(ぶっちゃけプレイヤーがどんな選択肢を選んだか)次第だ。
さて。
僕がこのシナリオで良いと感じたのは、美凪自身の行動によって問題が解決することだ。
前述した佳乃シナリオとは対照的になっている。
夢を見ることを止め、思い出に浸るのも終わりにして、現実に向き合うことを選択する。
ありがちだけど、やっぱりいいよなぁ。
前に進もうとする人の意志は尊い。
前に進もうとする美凪に対し、みちるは「思い出が欲しい」と言う。
消えてしまう前に、みちるだけの思い出が欲しい、と。
一見先ほどのものと矛盾するようだけど、そうじゃない。
「人は思い出無しでは生きていけないが、そればかりでもいけない」。
このシナリオで言われているのは、そういうことだ。
主人公が眠ってしまったみちるを背負い、月光を浴びながら美凪と並んで歩くCGがとても良い。
駅舎での三人の生活。
あれはとてもぎこちなくて、短くて、ままごとのような不完全なものだったけれど。
あの時、三人は間違い無く家族だったのだ。
とまぁ、どちらのシナリオが気に入ったのか丸分かりなレビューになってしまった。いや、書くのに2時間もかかってさ、そうするとやっぱ最初と最後でテンションが違ってきちゃうんだよね。うん。
残るは観鈴+何かあるらしいシナリオ。
いよいよメインヒロイン、気合入れていきます。
……とっとと.hack//G.U.もやりたいし、ね(笑)。
読書:藤原正彦『国家の品格』批評
2006年5月28日 読書
ISBN:4106101416 新書 藤原 正彦 新潮社 2005/11 ¥714
「Air」おわんねー。つーかプレイする時間が無い。
色々とやるべき事とやりたい事が溜まっていて、少しでも時間が惜しい毎日なんだけど、しかし講義の関係で新書を1冊読まなければならなくなった。
正直かったるい。
というのも、最近新書がブームになっているようだけど、僕は基本的に新書は好きじゃないのだ。
「わかりやすさ」が売れている理由。でもそれって、情報量がそれだけ減ってるってことじゃないの?
本当に学びたいことがあるのならば、その分野の概説書くらいは読むべきだと思う。楽して学ぼうなんて馬鹿の考えることだ。
まぁ、知識を役立てるんじゃなくて、単なる娯楽として捉えるならいいのかもしれないけど。
もう一つ、新書ってどうよ? と思う理由がある。このブームだ。
勿論、流行に流されるなんて嫌だ、みたいな低レベルな話じゃない。
ブームになれば、出版側は沢山の本を出そうとする。そうすると、どこの誰とも知れない怪しげな経歴を持っているような奴が書くことになる。結果、本の質が低下する。
小説以外の本(ま、小説でもそうだけど)を選ぶ際、最初に考えるべきことは、誰がその本を書いているのか? ということだ。気をつけていないと、とんでもないぶっ飛んだ内容の本を買わされる可能性が高い。
そんなトンデモ本を信じてると、いつか赤っ恥かかされるぞー。
そしてこの「国家の品格」は見事に駄目駄目。つーかそもそも、数学者がこんな本を書いているという時点でみんな疑問に思わないのか?
ナショナリズムに関する本が売れている、ということで買ってみたのだけど……。これは正直無いよ。
こんなん買うなら、「のだめカンタービレ」の1巻買いたかったっつーの。
まず、全体として論理展開が下手。これは、本の中で論理を否定している作者なりの皮肉なんだろうか。
「俺めっちゃ正しいこと言ってるんじゃね?」的論調も読んでいて苛つくし。
内容についても、作者の思い込みと知識不足が目立つ。
親孝行を神道の精神の表れとか言っているけど、そりゃ儒教だよ。
惻隠の心(=かわいそうだと思う心。「仁」のこと)が武士道精神の表れ? それも儒教だよ。孟子だよ。
というか、そもそも僕は「武士道=日本の精神」という考えは疑問視していたりする。
武士なんてたかだか全体の10%程度に過ぎない階層の思想を、かつての日本人全体の思想であるかのように扱って良いのか?
そもそも武士道なんて平和な江戸時代になってから生まれたもので、政治的意図絡みまくりだし。
新渡戸稲造だって「武士道」で「でも武士道が速攻で捨てられたのって、結局伝統に根ざしてなかったからなんだよねー」とか言ってるんだぞ? 本当に「武士道」読んだのか?(ちなみに僕は軽く流し読んだだけなので、何か誤解していたらごめんなさい)
他にも、例えば民主主義などについてもかなり勉強不足のようで、うん、ちょっと知識がある人なら呆れてしまうんじゃないだろうか。
結論。これは結構やばいレベルの本だぞ。
こんなん読んで「武士道こそが日本の〜」とか言ってる人は、もう少し本を読んだ方が良い。
この本が売れている、ということは、案外ナショナリズムに関する拒絶感というのは薄れてきているのだろうか。
これをきっかけにして、「日本人としての在り方」というものが議論されるようになってくれればと思う。
それ以外、この本に期待することは無い。
つーか期待できない。
時間と金の無駄だったなぁ。
「Air」おわんねー。つーかプレイする時間が無い。
色々とやるべき事とやりたい事が溜まっていて、少しでも時間が惜しい毎日なんだけど、しかし講義の関係で新書を1冊読まなければならなくなった。
正直かったるい。
というのも、最近新書がブームになっているようだけど、僕は基本的に新書は好きじゃないのだ。
「わかりやすさ」が売れている理由。でもそれって、情報量がそれだけ減ってるってことじゃないの?
本当に学びたいことがあるのならば、その分野の概説書くらいは読むべきだと思う。楽して学ぼうなんて馬鹿の考えることだ。
まぁ、知識を役立てるんじゃなくて、単なる娯楽として捉えるならいいのかもしれないけど。
もう一つ、新書ってどうよ? と思う理由がある。このブームだ。
勿論、流行に流されるなんて嫌だ、みたいな低レベルな話じゃない。
ブームになれば、出版側は沢山の本を出そうとする。そうすると、どこの誰とも知れない怪しげな経歴を持っているような奴が書くことになる。結果、本の質が低下する。
小説以外の本(ま、小説でもそうだけど)を選ぶ際、最初に考えるべきことは、誰がその本を書いているのか? ということだ。気をつけていないと、とんでもないぶっ飛んだ内容の本を買わされる可能性が高い。
そんなトンデモ本を信じてると、いつか赤っ恥かかされるぞー。
そしてこの「国家の品格」は見事に駄目駄目。つーかそもそも、数学者がこんな本を書いているという時点でみんな疑問に思わないのか?
ナショナリズムに関する本が売れている、ということで買ってみたのだけど……。これは正直無いよ。
こんなん買うなら、「のだめカンタービレ」の1巻買いたかったっつーの。
まず、全体として論理展開が下手。これは、本の中で論理を否定している作者なりの皮肉なんだろうか。
「俺めっちゃ正しいこと言ってるんじゃね?」的論調も読んでいて苛つくし。
内容についても、作者の思い込みと知識不足が目立つ。
親孝行を神道の精神の表れとか言っているけど、そりゃ儒教だよ。
惻隠の心(=かわいそうだと思う心。「仁」のこと)が武士道精神の表れ? それも儒教だよ。孟子だよ。
というか、そもそも僕は「武士道=日本の精神」という考えは疑問視していたりする。
武士なんてたかだか全体の10%程度に過ぎない階層の思想を、かつての日本人全体の思想であるかのように扱って良いのか?
そもそも武士道なんて平和な江戸時代になってから生まれたもので、政治的意図絡みまくりだし。
新渡戸稲造だって「武士道」で「でも武士道が速攻で捨てられたのって、結局伝統に根ざしてなかったからなんだよねー」とか言ってるんだぞ? 本当に「武士道」読んだのか?(ちなみに僕は軽く流し読んだだけなので、何か誤解していたらごめんなさい)
他にも、例えば民主主義などについてもかなり勉強不足のようで、うん、ちょっと知識がある人なら呆れてしまうんじゃないだろうか。
結論。これは結構やばいレベルの本だぞ。
こんなん読んで「武士道こそが日本の〜」とか言ってる人は、もう少し本を読んだ方が良い。
この本が売れている、ということは、案外ナショナリズムに関する拒絶感というのは薄れてきているのだろうか。
これをきっかけにして、「日本人としての在り方」というものが議論されるようになってくれればと思う。
それ以外、この本に期待することは無い。
つーか期待できない。
時間と金の無駄だったなぁ。
アニメ:『涼宮ハルヒの憂鬱 14話』感想
2006年5月29日 アニメ・マンガ
※6/5 全面改稿
「涼宮ハルヒの憂鬱」第14話。
これは「消失」直前の日常風景描写かな?
この作品はSF要素も幾らか入ってるけど、原作を読んでいて一番感じるのは「高校生活の面白さ」だったりする。こんな高校生活送れたら、毎日が凄く楽しいだろうな、とか。僕自身も実はまだ高校生で、部活やら何やらでとても充実した毎日を送っているとは思うけど、正直キョンが羨ましい(笑)。四季それぞれのイベントをこの上なく満喫しきっていて、これぞ青春真っ只中、みたいな。
この回は何事も無いSOS団の日常を描いていて、製作側はその辺の原作の良さをよくわかっているなぁ、という印象を受けた。
京都アニメーション製作のアニメを観たのは初めてだったのだけど、噂に違わぬ素晴らしい出来だった。作画や演出も素晴らしいけど、何より原作の理解度が半端じゃない。
さて、次週の放送は第4話(笑)。
3話の内容なんて覚えてる人は居るんだろーか。
この「次にどのエピソードが来るか」というワクワク感と、「ここでこれかよ!」という驚きははリアルタイムで観てこそのものだよなぁ。リアルタイムで観られて本当に良かった。
でもまぁ、ハルヒ派の僕としては、最後のハルヒの笑顔(画像参照)だけでももう大満足だったり。
やっぱりツンデレはいいよね。
所々で無理矢理ポニーテールにしていたりするのがたまらん。ええい、長門派には何故この良さがわからんのか!(つーかまぁ、僕が眼鏡っ子あまり好きじゃなくて、メインヒロインが大好きというだけの話なんだけどさ。やっぱりメインヒロインですよ。サブヒロインだと何だかこう、後味悪いじゃん?)
DVDを買ってしまいそうで怖い細二でした。
「涼宮ハルヒの憂鬱」第14話。
これは「消失」直前の日常風景描写かな?
この作品はSF要素も幾らか入ってるけど、原作を読んでいて一番感じるのは「高校生活の面白さ」だったりする。こんな高校生活送れたら、毎日が凄く楽しいだろうな、とか。僕自身も実はまだ高校生で、部活やら何やらでとても充実した毎日を送っているとは思うけど、正直キョンが羨ましい(笑)。四季それぞれのイベントをこの上なく満喫しきっていて、これぞ青春真っ只中、みたいな。
この回は何事も無いSOS団の日常を描いていて、製作側はその辺の原作の良さをよくわかっているなぁ、という印象を受けた。
京都アニメーション製作のアニメを観たのは初めてだったのだけど、噂に違わぬ素晴らしい出来だった。作画や演出も素晴らしいけど、何より原作の理解度が半端じゃない。
さて、次週の放送は第4話(笑)。
3話の内容なんて覚えてる人は居るんだろーか。
この「次にどのエピソードが来るか」というワクワク感と、「ここでこれかよ!」という驚きははリアルタイムで観てこそのものだよなぁ。リアルタイムで観られて本当に良かった。
でもまぁ、ハルヒ派の僕としては、最後のハルヒの笑顔(画像参照)だけでももう大満足だったり。
やっぱりツンデレはいいよね。
所々で無理矢理ポニーテールにしていたりするのがたまらん。ええい、長門派には何故この良さがわからんのか!(つーかまぁ、僕が眼鏡っ子あまり好きじゃなくて、メインヒロインが大好きというだけの話なんだけどさ。やっぱりメインヒロインですよ。サブヒロインだと何だかこう、後味悪いじゃん?)
DVDを買ってしまいそうで怖い細二でした。