CD-ROM KEY 2001/07/19 ¥9,240



――the 1000th Summer――

ついに「Air」終了。以下各シナリオの感想、及び総評。
ネタバレ注意。

・観鈴シナリオ

…………何これ?
としか言いようが無かった。終わった直後は。
まぁ、全部終わらせた今ならわかるけれど、これは「Air」のプロローグなのだ。
夢を終わらせ、夏が過ぎて、ついにそこに至る。
彼女が待つ、その大気の下に。

往人が「人を笑わせたい」という初心を思い出すシーンは良かった。
でも他は正直微妙。だっていきなり観鈴がぶっ倒れたりするのって、この時点じゃわけわかんねぇんだもん(笑)。
まぁ、このシナリオ単体を評価するのは無意味だよね。

・Summer編

凄く良かった。
うん、確かに驚いた! シナリオ始めると、いきなり「正歴5年」とか出るからね! これで驚かない奴はいねーから!
でもまぁ、裏葉と神奈と柳也、三人の掛け合いとかいいし。てゆーかね、神奈がもうね、可愛い過ぎ。
村娘の格好を柳也に見せたくないとか、骨張っているって言われたのを何気に気にし続けてるとかね。
最高。僕的に見事ツボった。

往人の持つ、「法術」とは何なのか。
佳乃が触れ、白穂の子供が触れた、「羽根」は。
往人の一族が探し続け、みちるが言っていた「女の子」。
そして。何故、観鈴があのようになってしまったのか。

Dream編で明かされなかったこれらのことが、このシナリオで全て明かされる。
そして、それだからこそ、これはとても悲しい物語だ。
道中ずっと練習していたお手玉を、最後(最期、かな?)まで母の前で成功させられなかった神奈。
夢とわかっていながら、家族のように暮らす未来を話し続ける三人。
自ら死地へと向かい、柳也と裏葉へ「達者で暮らせ」と言う神奈。
神奈に掛けられた、平穏を願う僧達の心の結晶でもある呪い。
救われるまで、永遠に柳也の死体に縋り付いて泣き続ける神奈。
自分達では救うことが出来ず、子供に願いを託すしか無かった柳也と裏葉。

そんな多くの悲しみがありながら、しかしこのシナリオは希望に満ちている。
まぁ旅の道中が明るい雰囲気だったからそう感じた、というのもあるかもしれないけれど、やっぱり「三人が『家族』だったから」というのが一番大きいように思う。
神奈を失った後も、柳也と裏葉は絶望しない。神奈を何とか救う方法は無いのかと模索し続ける。
そして、柳也を失ってしまった後の裏葉も精一杯前向きに生きていくのだろう。
大切な人を失って、何故希望を失わずに居られるのか。
それは、いつも傍に誰かが居てくれたからだ。神奈を失ってしまった柳也には裏葉が居て、柳也を失ってしまった裏葉には二人の子供が居た。
辛い時や悲しい時、いつも傍に居て支えてくれる誰か。
それって「家族」なんじゃねーの?

柳也の「まるで仲の良い家族のようだな」という台詞が物凄く印象に残った。
そう。Dream編の往人と美凪、みちる達のように。
彼らもまた、家族だったのだろう。

・Air編

そして――、1000度目の夏。
飛べない鴉は、1人の少女に出会う。

「Air」というゲームの本編とも呼べるシナリオ。
多分、「Air」で泣いた人は大半がこのシナリオで泣いたのだと思う。
けど、うん、ぶっちゃけ僕としてはSummer編の方が面白かったし、感動したかな。
まぁ、これに関しては完全に好みの問題でしょう。
ただ、音楽はもうこれまでにも増して凄い。「青空」とか反則だからアレ(笑)。

Dream編での往人が「そら」という名の鴉になり(転生?)、観鈴を見守っているのだけど、まぁ正直Air編の主人公は晴子さん。
誕生日や温泉旅行云々など、晴子さんの本音が明かされていく。
そして橘家から帰ってきた晴子さんが「母」として――というのがAir編のキモなのだけど、さっきも書いた通り、僕はその部分にあまり思い入れが無い。ので、サックリ飛ばすことにする。

往人は人形に願う。もう1度、観鈴と一緒にやり直したい。
それは叶えられたけれど、記憶も失われかけた1羽の鴉としてだった。
出来たのは、観鈴が1人きりの時に傍に居ることだけ。一度抱き締めてやることだけだ。
法術(方術)使いの家系が1000年かけて翼人の女の子に出来たことは、それだけだった。
だけど、たったそれだけ。それだけのことが、あの奇跡を引き起こした。
さっきのSummer編のところでも書いたけれど、「傍に居てくれる人=家族の大切さ」というのが、「Air」のテーマの一つなのだと思う。

観鈴がゴールに辿り着いた後。
そら(=往人=柳也の生まれ変わり?)は初めて空を舞い、探し続けていた「空にいる少女(=神奈)」へ会いに行く。
「この星の最初の記憶」(=観鈴が見た、恐竜と一緒に飛ぶ夢)と「幸せな日々の記憶」を持って。
そして。
最後の翼人は、ついに悪夢から開放されるのだ。

最後の二人については、「少年=往人の生まれ変わり=柳也の生まれ変わり」で「少女=観鈴の生まれ変わり=神奈の生まれ変わり」なのかなぁ、とも思うけれど。
でもこの二人ってのは、なんつーか、そういう細かい設定の整合性とか関係無くて、「Air」という物語そのものの象徴なんじゃないか、という気もする。

・総評

音楽がとにかく素晴らしかった。それで全て許せるくらい。
「鳥の詩」「青空」「夏影」が特にお気に入り。
あと、「縁」のサブタイトルがたまらない。だって「the way so far」ですよ? 「その道は、あまりに遠く」。「縁」でそのサブタイトルってのが、なんかこう、最高。
プレイして良かった。全体を通じて、そう思える作品だったと思う。
「Air」。名作、と言っても良い出来。

最後に。
全体のテーマとして「家族」というのがあると思うのだけど、それと共に「受け継がれるもの」というテーマもあるんじゃないかと思う。
人間1人の人生なんて、ちっぽけなもんだ。僕が明日殺されたとしても、世界は何も変わらない。
だけど、そういう1人1人の人生が束ねられて、流れが出来る。その内の幾つかは人々に記憶され、受け継がれていく。
そうして僕達が必死こいて足掻きながら生きていく限り、流れが止まることは無い。
世界はまわる。
君をのせて。
僕をのせて。
DVD ジェネオン エンタテインメント 2005/08/05 ¥9,975

というわけでようやく原作のゲームをやり終えて、劇場版の「Air」を観ることに(5/17の日記参照)。結局、2回ほどレンタルを延長する羽目になった。やれやれ。

でまぁ、ネットでも賛否両論のこの作品なのだけど。
はっきり言おう。
駄作だ。細かい部分で評価できる点は幾つかあるが、総じてあまりに酷い出来。正直、これ程までに酷い映画化作品は珍しいと思う。
観ていて呆然、そして爆笑。
僕はそうでもないので大丈夫だけど、原作に思い入れのある人は激怒してもおかしくないわ。
ただまぁ、単に酷いというだけの作品でもなく。その辺りが賛否分かれる原因か。
以下、シナリオなどについて具体的な感想。劇場版・原作の両方のネタバレを含むので注意。

音楽。
うん、まぁ、悪くは無い。特に往人が神社で観鈴を探す時に流れる、「鳥の詩」のアレンジは非常に良かった。
ただ、冒頭のオリジナルver.「鳥の詩」のブチ切れ編集っぷりは泣けた。何だよあれ。TVアニメなら時間の問題もあるけど、劇場版であれは無い。名曲が台無しだっての。
他にもいくつか駄目なところはあったけれど、それは演出と一緒にまとめて書こうと思う。

アニメーションとしての出来。
うーん、正直劇場版ならもう少し頑張って欲しかった。通常の深夜アニメなどに比べ、予算、人員、時間とあらゆる面で恵まれているのだし。作画は割と良い出来だけど、そんなのは劇場版なら当たり前。もっと動きがあって欲しかったな。
え? 1枚絵? それも演出のところで。

さて、いよいよここからが本番。
キャラクター。
酷い。あまりに酷過ぎる。全体的に原作のゲームよりも現実味を増した性格付けがされているのだが、それがあまりに中途半端。原作のようにフィクションとして吹っ切れているわけでもなく、かといってリアルでもなく。はっきり言って最悪の結果。全員、原作とはほぼ完全に別人。
以下、個々のキャラクターについて。

・国崎往人
熱い。「家族なんて偽者の笑顔浮かべてるだけだ。そんな奴らに俺の人形劇見てもらいたくねぇ」とか。「本当の本気なんて、存在しないんだよ!」とか。しかも冒頭のその台詞が後々まったく生きてこないのが意味不明。なんだこいつ。
原作では「悪い」となっていた目つきまでもが熱い。観ている最中、「誰かに似てるよなぁ」とずっと思っていたのだが、スタッフロールを眺めていて気付いた。あいつだ。「フルメタルパニック!」の相良だ。
ちなみに原作と違い、人形劇で笑わせるのは普通に上手い。人気者。
つーか、ひょっとしてこいつの母親生きてるのか?

・神尾観鈴
原作よりも大人っぽくなり、幼さを感じさせる部分が無くなった。しかし、原作の「にはは」「がお……」などが変に残っているため、ただの電波少女になっている感が強い。あいたたた。原作であれが許せたのは、観鈴の幼さと開き直ったフィクション的キャラクター作りがあってこそだというのに。
ぶっちゃけ「ぱたぱたぱたー」のシーンでドン引きしたわ。
あと、ネットで他の方の感想を読むと、「もっと彼氏らしくしてもいいのだよー! もっと仲良くしてくれてもいいのだよー!」という台詞に対して否定的な意見も多いのだけど、ここでちょっと萌えた僕は駄目人間でしょうか(笑)。いや付き合ってもいないのに何言ってるんだこいつ、という感じは確かにするけど、これは劇場版の観鈴ならではの良さが出ていたと思う。
でもそれ以外の部分は正直きびしい。この作品の最も大きな弱点である「中途半端さ」をよく体現しているキャラと言える。
他の設定。病弱のためろくに学校に行けない。あともう1人の自分が空にいる夢とか見ない。翼人と関係がある、という描写が殆ど無く、最後の最後に羽が生えた姿が少し映っただけ。愛する人に思いを伝えたら死ぬという、原作には影も形も欠片すら無い設定。にも関わらず、誰かと仲良くすると体が弱っていく、という原作の設定が中途半端に生きていて、どっちつかずになっている。
ぶっちゃけ大失敗キャラ。

・神尾晴子
まず観鈴と普通に仲が良いというのがあまりに衝撃的。これで原作の要素のうちの50%は消え去っていきました(笑)。
まぁ、尺を縮めるため+恋愛に焦点を当てるためという理由があるので、うーんまぁ、納得できなくもない、かな(でもやっぱりちょっと辛いかも)。
ネグリジェで往人に絡むシーンは悪夢としか言いようが無い。あのシーンがどういう意図で入れられたのかさっぱりわからん。

・霧島聖
観鈴の主治医として脇役で出演。この映画の台詞があるキャラクターの中で、一番原作と変わっていないっぽい(笑)。

・ポテト
TVに出演。相変わらずぴこぴこ。

・霧島佳乃、遠野美凪、みちる
群集の中のちょい役。台詞無し。みちるだけ2回出番がある。
ヒロインなのに聖とポテトより扱いが悪いのには笑えたけど、まぁこれは仕方が無いかな。

・神奈
なんじゃこりゃ。お転婆でも何でもないただのお姫様。
単に許してもらえないだけで、最初から飛べる。
「愛する人にその思いを伝えると死んでしまう」という出所不明な呪いがある(僧の呪術でもなく、先祖から受け継いだ穢れでも無く。翼人固有の設定? でもだとしたら翼人は子孫残せないんじゃ?)が、最後は呪いとか関係無く矢に貫かれて死亡。僧達の呪術にかかっていないにも関わらず、空に留まる。でも今はどこで何してるのやら(笑)。だって「空にいる少女」って往人の母親がちょっと言ってただけで、ストーリーにまったく関わってこないんだもん(笑)。

・柳也
なんじゃこりゃ。お調子者でも変わり者でもなく、普通のイケメン貴族。なんか原作で出てた後ろ姿とはかけ離れた容姿をしてるんだけど(笑)。
この神奈と柳也のキャラクター改変は、多分Summer編の尺を短くするためのものだと思う。うん、確かに劇場版の短い時間の中じゃあ原作のように仲良くなっていく過程が描けないから、原作の性格がいまいち生きない、というのもわかる。わかるよ。
でもね。いくらなんでもこれはやりすぎ。短くするために原作のキャラクターを変えちゃったら、それ原作を映画化する意味が無いから。本末転倒ですから。
そして柳也、なんと法術が使える。まぁこれも尺を短縮するためにも仕方ないかな、とも思うけどね。
最後は余命僅かな神奈を海に連れていくべく奮闘(なんと戦闘に独楽を使う!)、普通に死亡。子孫を残さない!

・裏葉
聖並みのちょい役。多分法術は使えない(笑)。

・八百比丘尼
原作だと「呪いで無理矢理生かされているのが、人魚の肉を食って不老不死を手に入れたという伝説になった」という設定だったのが、呪いが無くなってしまったので人魚不老不死云々が浮きまくり。神奈が近づいてきたので必死に牢の外に出るが、そこを槍で突き殺される。

・そら
最初から飛べるただの鴉。
あ、あんまりだ……。

・敬介
原作だと「彼なりに観鈴のことをおもっているキャラ」だったのが、ただの自己中に。往人に殴られるだけに存在した人。めっちゃ不憫。

まぁ、ざっとこんな感じ。最早「Air」じゃない。

構成、ストーリー。
原作のテーマが完っ全に消滅。
僕が原作をプレイして感じたテーマは「家族」と「受け継がれていくもの」の2つなのだけど。
観鈴と往人の恋愛に焦点を当てたため、Air編は全カット。これにより、「家族」というテーマは申し分程度の薄っぺらいものになってしまっている。自動的に晴子、そらは原作とかけ離れたキャラへ変貌。
また、Summer編で柳也が死亡してしまい子孫を残していないため、「受け継がれる」という要素も消滅。つーか柳也と往人、神奈と観鈴にそれぞれどういう関係があるのかがさっぱりわからない。というか誤魔化されている。この点ははっきり言って最悪。
この時点でもう原作とは完膚なきまでに別物なので、比較のしようが無かったり。
多分、劇場版は「何もかもを犠牲にしても恋を貫く」という姿を描いた作品だったのだと思う。
で、じゃあ観鈴と往人の恋愛はどうなのよ、という感じだけど。
最後のゴールするシーンで、観鈴がはっきりと「お母さんが一番、往人さんは二番目」と言ってしまっている。あちゃー。
この他にも敬介が来るシーンなどでは中途半端に家族の絆が描写されていて、どうも恋愛を焦点にしているとは思えない。
これもキャラクターと同じように、変に原作を引きずってしまった悪影響と言える。

ただ、テーマを別にすれば、具体的なストーリー展開のやり方は悪くない。
Dream編(つーか現代)とSummer編を平行させ、その手段として「夏休み課題のフィールドワーク」を使ったのは実に上手いと思う。
ただ致命的だったのが、先ほども少し言及した「ゴール」のシーン。何の理由も必然性も伏線も無く、いきなり海へ行ってちょっと歩いてゴール。さようなら観鈴ちん。
……原作の一番の山場をこんな風に使われたら、そりゃ原作好きはマジギレするよ。しかも変に「青空」とか使っちゃってるしね。「『青空』が汚されたように感じた」と言ってるファンは実際、少なくないようだし。
「はいはいどうせこれさえ入れておきゃ原作好きは泣いて満足なんだろ」と製作者が考えているのではないかと、原作ファンが邪推できてしまうシーンになっているように感じた(無論、製作者にそういう意図は無い…………筈)。

後はまぁ、キャラクターの項で言ったような矛盾というか、設定の甘さが目に付いたかな。
全体の構成は悪くない。とにかく中途半端だ。

演出。
もはやギャグ。
劇画のような1枚絵の多用、画面のコマ割り、スローモーションにして何度か繰り返し、往人の母親が話に出てくるたびに何故かいきなり能の舞台が映る、鬼の面を被った男が太鼓を叩くというわけのわからん比喩的描写など。全体的に古臭く、演出過多。
調べてみると、監督は「あしたのジョー」などを製作した有名な人らしい。
おそらく、その人選の拙さが演出だけでなく、作品全てに悪影響を及ぼしてしまっているのだろう。これは後述。
とにかく、作風に演出がまったく合っていない。「古臭い」というのはそれ単体では決して悪いことではないが、少なくとも「Air」という作品にそれは合わない。
そして演出過多。いくら効果的な技法でも、多用してしまっては目についてうざったいだけだ。
何より、「能」と「鬼の面をした男達が叩く太鼓」という比喩が何を示そうとしているのか、皆目見当つかんのは僕だけなのだろうか。
恋愛を中心とした物語で、いきなり「いやぁー!」「でやぁー!」とか言いながら太鼓を叩きまくる集団に出てこられても困る。
てゆーかギャグになっちゃってますから。

この映画が「Air」として成立していないのはキャラクターの項からも明らかだが、「ちょっと設定に齟齬があるが、まぁ普通の青春恋愛映画」としても評価できないのは演出と作風のあまりにギャップにあると思う。

・総括
つまるところ、これは「Air」としてもただの青春映画としても糞だ。
が、監督の出崎氏があのような作風であり、また原作をあまり重視しないことは分かりきっていたわけで。
出崎監督という時点でこのような出来になることは簡単に推測できた筈であり、つまるところ原作の良さと監督の作風についてまったく考慮しせず、ただネームバリューのみで人選を行った東映が屑ということなのだと思う。
……でもさ、出崎監督も原作をプレイする位はやっても良かったんじゃない?

おしまい。疲れた。
http://www.death-note.biz/note/res/1149774334865.htm

久し振りにすっげぇ笑った。いや、これは面白いわ。
笑ったら何だかスッキリ。うん、最近の僕は色々と抱え込み過ぎていたのかもしれない。ちょっと余裕が無かったかな。
取り敢えず、誰にでも出来るような仕事は他の奴に丸投げしちゃおうと思う。
時計を見ると22時半。W杯でも観ようかな、と思ってTVをつけたら、丁度日本が先制点を取ったところだった。
やるじゃん、日本。
「やるじゃん、日本」とか書いたのに……! 書いたのに……!
以下、個々の選手についてなど。

結論:ジーコ監督、4年間お疲れ様でした。

川口:途中まで神セーブを連発するも、飛び出しで痛恨の失点。今回は明らかに川口に負担がかかり過ぎていたし、彼に責任は無いと思う。でも、うーん、もう歳でもあるし、そろそろ小柄な彼では限界か。川口はもう何年もずーっと、僕があまりサッカーに興味が無くなってからもずっと、本当に大好きな選手だったのだけど。2004年のアジアカップ、ヨルダン戦PKで貰った感動は忘れません。今まで本当にありがとうございました。

宮本:微妙。まぁ割と良かったような。

三都主:正直、何故こいつが代表に居るのかずっと疑問だったり。今回は割と守備を頑張っていたけど、肝心の攻撃が駄目過ぎ。

駒野:あのクロスは有り得ない。

中田:マークがかなり厳しいせいか、パス精度も低く攻撃には貢献できず。守備は結構うまくやっていたと思う。

中村:ゴールはラッキーかな。厳しいマークの中割と頑張っていたように思うけど、後半バテて動けず。交替させなかった監督の責任。

柳沢:シュートを撃ってくれ……。ボールキープは良かった。万全でないせいか、後半運動量激減。まぁ、仕方無いのかな。

高原:シュートを撃ってくれ……。柳沢とのパス噛み合わず。後半駄目駄目。

小野:ジーコの謎采配の犠牲者。しかしもう少し動いてくれても良いのでは。正直、日本代表に彼はもう必要無いように思う。

大黒:流石に入るのが遅すぎた。

ジーコ:戦犯。あそこで小野は有り得ない。TVの前で仰天したわ。もっと守備を固められるタイプの選手を入れるべきだった。疲れてる選手は替えろ! 何の為の控えだ! つーか大黒の投入遅過ぎ。
常に後手後手に回り、行き当たりばったりの采配という印象。
はっきり言って最悪。4年間は無駄でしたね。

ああ腹立つ。
アニメ:『Fate/stay night』総評
 
 
――I am a bone of my sword.――
 
 
 
※以下「Fate/stay night」アニメ・原作両方のネタバレを含む。

はっきり結論から言おう、このアニメは失敗だ。

取り敢えず、構成が微妙過ぎる。原作の3つのルートを変に入れたおかげで、桜や凛辺りのシナリオがえらい中途半端になってるし。しかも2クールで変に長いから、内容がどうも薄く感じられてしまう。本当に奈須きのこが関わってるのこれ? 名前だけで殆どタッチさせてもらえてないんじゃ?
そして何より演出が駄目。例えば、序盤のセイバー召喚シーンは上半身から徐々に現われてきたりしてるし(そこはもっと一気に行くべき)、その後ランサーの宝具の真名解放のシーンもグダグダ。もっと溜めと間を上手く使ってくれないと、『―』を多用する奈須きのこ(=原作)の雰囲気は出せない。あぁそうそう、15話の恐ろしく出来の悪い竜のCGは笑うところなんですか?
この演出の下手さに加え、前述した構成の問題も、更にあまりアニメーションが動いていないのもあって、非常に冗長、退屈な出来になってしまっている。
ぶっちゃけ作画だけアニメ。

今回の構成では、Fateを基本にUBWとHFの要素をそれぞれ少しずつ足していたわけだけど。
僕が思うに、やっぱりFateじゃなくてUBWをメインに置いた方が良かったように思う。
UBWにFateのイベント、例えば約束された勝利の剣VS騎英の手綱なんかを盛り込んでいけば良い。Fateの対ライダー戦は割と独立性の高いエピソードだし、UBWでのライダーは脇役なので問題無し。あとはメインヒロインを凛からセイバーに変更。これもまぁ、概ね問題は無いはず。凛はもう、ある意味完成している人間だから、あんまり言及する必要無いし。囚われたセイバーに関する士郎の描写を充実させて、凛関連のイベントをカット・改変していけば何とかなるんじゃ。最終決戦の魔力ライン辺りはどうとでも設定捏造できるし。バーサーカーの扱いが一番の悩みどころだけど、うーん、UBW準拠が妥当かな。そうじゃないと話がまとまらないか。

で。
何故UBWベースなのか。
まぁ、僕が原作で一番好きなシナリオである(ちなみに僕が好きなのはバーサーカー&イリヤ、ランサー、ギル様に、まぁ一応アーチャー。メインヒロインでは凛。大体そんな感じ)からってのもあるけど。
えと、やっぱり「Fate/stay night」はどこまでいってもエミヤシロウ(敢えて片仮名)の物語なのだと僕は思うわけだ。
そのエミヤシロウが一番クローズアップされてるからUBW。まぁそれが一番大きな理由かな。
それに、UBWって一番それぞれのサーヴァントのキャラクターが立っているシナリオじゃない? アーチャーは言うまでも無く、バーサーカーも凄まじい意志を見せるし、ランサーは対アーチャー戦と凛を助けるところ、キャスターも陣地作成が大成功+葛木関連もあるし。例外は小次郎アサ、ライダー位だけど、それもFateルートから見せ場引っ張ってくれば十分フォロー可能。セイバーはメインヒロイン化、Fateのデートイベントを途中に挿入すれば十分OK。
シナリオのボリュームは必然的に大きくなるけど、今回アレだけグダグダだったのだから、もっとイベントを取捨選択して、演出できっちり見せるべきところを魅せれば(誤字にあらず)テンポも良くなる。
これで結構良さそうな気がするんだけどなぁ。
…………へ、HF? あれは他の2シナリオとはあまりにそぐわないので全カットで。いや、嫌いじゃないよ? 嫌いじゃないけど、ぶっちゃけランサーもギル様もあっけなく消えちゃうから悲しい。

結論。14話(アーチャ―VSバーサーカーの回)以外は駄目駄目でした。
演出さえしっかりしていれば全然違ったのに。勿体無いなぁ。
アニメ:『ひぐらしのなく頃に 祟殺し編』総評
何だか最近アニメの感想ばかりだなぁ。
いやまぁ、本の批評を書くとどうしても時間がかかっちゃうから、その辺が今ちょっと厳しいんだよね。
ライトノベルの方もそこそこ読んではいるけど、レビューを書く意欲を湧かせるものが無くて。期待していた「銀盤カレイドスコープ」も前後編の前編だったし。
そんなわけで。
「ひぐらしのなく頃に」祟殺し編総評。

さて。
いつもの僕のやり方として結論から先に言うけど、最悪の出来だった。1話か2話くらい見逃してしまったのだけど、それを観たいという気も起こらない。
圭一の覚醒シーンは無く、雛見沢大災害をあのような形にカットしてしまう祟殺し編に何の価値があるのか。心の底から疑問。
綿流し編は割と良かったのに、何故いきなりここまで酷い出来に。
他の問題編と違って5話とったのだから、尺としても少しは余裕があった筈なのだけど……。

具体的に問題点を挙げると、一番致命的なのは大災害の描き方じゃないか、と思う。やっぱり。
原作でのあのシーンってのは、沙都子に殺されかかって里香ちゃんも死んで、もう滅茶苦茶になった状況を、全て一切合財完全に終わらせてしまう――ある意味、演劇で言う「機械仕掛けの神」的な役割を担っていると思う。
このあまりに唐突で不条理な『終焉』に対して読者は驚愕し、呆然とするわけだけど、うーん、これだとむしろ「物語の筋がよく分からない」という、原作者の意図とかけ離れた『驚愕』と『呆然』を味わってしまうのでは……。
あ、あと圭一がもう一度鉄平を殺そうと決意するシーンが有り得ない。あのシーンはあんな殺意に満ち溢れたものじゃない。もっとこう、追い詰められ切った圭一が「もう何もかもどうでもいい。せめて奴だけは殺す」という『諦観』に近いものを感じている、読者にある種の透明感を覚えさせる場面なのだ。

鈴木次郎の漫画版祟殺しはコミカライズとして素晴らしい出来だった(時間が取れたらこれについても書く予定)だけに、残念。
次週からは僕が原作で一番好きな(つーか泣いた)暇潰し編。問題編と解決編のインターバル的存在ではあるけれど、「ひぐらしのなく頃に」という物語においては非常に重要なエピソードでもある。
……頼むから何とか良いものを作ってくれ、スタジオディーン。